本、映画をつづる日記
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怒ると怖いけど威厳があり家族を守る父親、母性あふれ父を支える母親、やんちゃな息子で形成されている鈴木家が、あの時代の典型的かつ理想的な家族の形。
原作は一平が主人公だけど、映画のスタッフロールでは茶川が主演扱い。 原作とは少し違う視点で伝えたかったのかなと推測。 茶川は、捨てられた子供を引き取ることになった時その子供を忌み嫌うし態度にも出すわ、甲斐性ないわ、その癖プライドはあるわ、子供の作品をあっさり盗作するわで頼りないしクズの中のクズなんだけども。 そのクズに父性が目覚めていく過程がとても心打たれるのだ… そして淳之介の一途な心にも涙が出てくるのだ… お金持ちが現れて、貧乏だからと身を引くってパターンはどっかで見たことあるなぁという王道ではあるんだけど、その王道を山崎貴はどうしてこうも涙を誘う展開に仕上げてしまうのかと驚くばかり。 それとも現代人はこういうものにこそ飢えてるのかもしれない。 ギャグシーンもきちんと昭和の漫画な雰囲気を出しつつ、現代でも受け入れられるようなもので、全体的に明るい空気を保たせている。 先生の家族の夢は、現実の映像なんだと思わせておいて過去の映像だった、実は家族は亡くなっていたという後出しがズルい。 夢の映像と実際に1人で一人きりの家に帰った映像を比較させるのもズルい。 喪失感ってこうやって出すんだなと演出方法を学ばされた。 六に薬師丸ひろ子が『子供の顔を見たくない親なんていないのよ』って言ってて、これは淳之介の家庭環境の事もなんらかの意味で表していると思うんだけど、その意図が分からなくて悩んだ。 捨てた母親はもう『親』ではなくて、茶川が『親』になったという定義付けなのか。 それとも彼女もほんとは会いたがっているという希望なのか。 PR |
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