本、映画をつづる日記
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監督…リチャード・ケリー(運命のボタン)
カレン先生…ドリュー・バリモア(チャーリーズエンジェル) とても難解な妄想と現実が入り乱れる話。 私は基本が現実、兎は妄想、ラストも妄想と考えていた。 ラストに憎き相手となるフランクの名前を、物語初めから明らかに妄想であろう兎の名前として扱われていたので、 前後関係から見てそう考えた。 全て終わった後の彼視点における話の振り返りなんじゃないかと。 マルホランドドライブを完璧に引きずっています。 でも2回観た後、考察をいろいろ見てみると 伏線と思しきものが自分が感じた以上にあり、繋がりが見えてきた。 この物語の真相として予想されていたのが、 ①映画の流れのままに全て現実で、彼はタイムトラベルをし、恋人や家族を助けるために死んだ。 ②この物語は彼が死ぬ前に夢見たストーリーである という二つの流れである。 最後に「帰ろう」とドニーが発言することから後者の発想が生まれたらしい。 ここで思い出したいのが、明らかにキーマンなのにいまいち何の機能をしているか分からない死神ばばあ。 彼女は冒頭で、「生き物は皆孤独に死ぬ」と述べている ドニーは通常そのまま孤独に死ぬはずだった。 しかし、映画のような物語をたどった場合、彼は愛する人のために死ねる。 続いて科学の先生の話。 「運命が見えているなら、運命に背く選択肢もありうるということだ。 だが、その選択の存在自体がすでに運命に背いている」 彼は孤独に死ぬ運命だった。しかし、思考を変えるだけで、彼はささやかにこの運命に抵抗することができる。 ともとれるし。 ①の流れそのままともとれる。 そしてDr.サーマン先生の話「もし、空が開くものなら、この世に法則などないはずよ。 あるのはあなたの記憶とあなたの取った選択とあなたの知人だけ」 これは明らかな②への示唆。 この映画に関して感じていた違和感もある。 精神に疾患があり、学校内においても浮いていると言わざるをえないドニー。 その彼に毎日遊ぶ普通の友達がいて、彼女ができて、家族にも愛されるのか? 都合がよすぎる 彼女のため・家族のためのタイムトラベルなのに、その間の思考や時間、回想が短すぎやしないか? この間の状況は読み取れても感情がほとんど感じなかった。 兎は明らかに想像としてとらえられている。 フランクという存在も前後関係がおかしい。 物語全体においての現実感のなさは、②であることを導いているのではないかと思った。 そんな自分の死んだ意味を見出した映画なのだと感じた。 PR |
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