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本、映画をつづる日記
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監督:ラースフォントリアー(奇跡の海)
セルマ:ビョーク(歌手)

デンマーク映画。
カンヌ国際映画祭のパルムドール賞。
OPが最後まで見た今となってもよく分からない、鬱々とした優しくない色合いの映像。
目が確実に悪くなっていて、機械の仕事をしていて、もうそれ手とか失うフラグじゃないですか‥
怖い怖いっ怖いて思ってたら本当に突然周りの人達を巻き込んだミュージカルが始まって。
「ミュージカルは唐突に始まるから嫌だ」って会話の後に。
ここでの雰囲気の急転換に引き込まれたものの、それは妄想で案の定手を怪我し、機械は故障、全員帰宅‥
その後も度々ミュージカルは挿入されるものの、比例して現実はどんどん残酷に。
目の失明はどんどん近づき、目標はますます遠ざかる。
彼女の優しさも努力も人の欲で覆いかぶされ、そこから一気に急降下。
ビル役の金を奪おうと考えている時の目線、表情の気持ち悪さは良い配役、演技だったなと思ってる。
最高に醜悪で不快だった。
息子のためにしてきた診察の偽証も、ビル一家のための沈黙も、趣味もこれまた息子のためのお金の嘘も、裁判では全て悪い方向へ向かう。
この時の視聴者のフラストレーションは相当なものだろう。
なぜ真実を言わない。
なぜそこまでやられても加害者を守ろうとする。
彼女の愚直さは大変腹立たしい。
息子の気持ちになって息子を大切にするなら、自分の無実がもっとも重要でしょう。
「殺人犯の息子」なんて肩書きが息子のためになると思ってるのか。
セルマはひたすら息子の目を治したかった。
遺伝すると分かっていながら、産んだ罪悪感だろうか。
自分が最も辛かった事だから、息子には背負わせたくなかった、その気持ちが強すぎたということだろうか。
この件に関しても、セルマは盲目的である。
恋人も作らず、目も見えなくなってるのに仕事も増やし、事件が起こった後は一切自分を守ろうとしない。
ただミュージカルだけが彼女にとっての娯楽。
その娯楽は最後の107歩まで続く。
それでも、ミュージカルをもってしても命を失う事の恐怖は消せなかった。
断頭台でのセルマの取り乱しで号泣した。
あんなに激しい泣き方をしたのは映画じゃ初めて。
ビョークの演技力に引っ張られた。
共感してしまった。
そこへ息子の手術が成功したと報告が入り、彼女の叫びはピタッと止まる。
そして歌い出す。
ミュージカルより命を失う恐怖が大きくて、その恐怖に長年願い続けた息子の完治が勝ったという、彼女の価値観の優先順位がハッキリと現れていたシーンだった。
撮影方法も独特で、カメラが近く、あえてアマチュアが撮ったような技法を用いている。
視界の狭い撮り方は見ている者を不安にさせる。
そして時折絵画的なカットも見られた。
本当に暗いし落ち込むので二度は見たくないけど、エログロ要素を使わずに衝撃的な映画を与え、見たものに忘れられない巨大な印象を残す、映画としては大成した作品かと思う。
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