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本、映画をつづる日記
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監督:スタンリー・キューブリック
脚本:アーサー・C・クラーク スタンリー・キューブリック


聞いてはいたけど音声なしの映像が多い映画
ちょっと頭痛くなる
説明がなさすぎて情報なしの初見では確実に理解ができない
まあ原作を読めば恐らく理解はできるし
きちんと意味がある構成ではあったから映像の深読みができて楽しかったけど、
なんか疲れるので2回目はいいや
おどろおどろしい音楽とかも好きなんだけどね
疲れる
最後の映像とかも
とりあえず長いんだよね、そういう観念を訴えるような映像が
もう少し飽きさせない長さか動きが欲しかったかなあという感じ
SFが好きな人は楽しいかもしれない

HALとのやりとりは、よくある機械VS人かと思わせておいて
実は既に人より上位の存在に導かれていた
っていうのは面白かった
途中途中ぶつ切りになるのもミスリード狙わされた感じ
モノリスに影響を受けたという点では共通してるけど、
あの表現は触れたものがダメージを受けたり死んだりしたコトをにおわすから

映像の表現は本当に多彩というか、時間をたっぷり使ってるから、
そういう関係に詳しい人には楽しめるかも

パレードとの関連を感じた点は、最初の猿が武器を使い始めたシーン
あれが藤原竜也の通り魔のシーンと完璧一致
藤原がこの作品事態に真実を見出したということだけど、
彼がそれを感じたのは子供のころ
子供時代にこの作品の本当の設定を理解するのはさすがに難しいと思う…
一応自分より上の存在によって、人は進化を導かれてきたという過程を表しているだけなんだけど
進化こそ人が人であるための義務だと感じたのだろうか
それを最もシンプルな方法で表現されていたのが「猿が武器を使って相手を倒す(食糧を確保する)」
しかしパレードで藤原は生活にも食にも困っていたわけではない
つまり彼が求めていたのは変化=進化なのかなと
世界に対して変化を求めていたのは退屈だったからではなく、進化をしたかっただけで
だけどあの部屋に対する居心地の良さを感じているだけにうまく動けなかったのかなとか
占い師の言葉もこの作品の設定とリンクしてるのかも
人(藤原竜也)はその存在(世界)に勝つことはできない
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