本、映画をつづる日記
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あのふざけた頭の大きさ的に完全コメディかと思いきや
7割青春映画でした 面白いコメディ部分もあったけど、実写化しても保ってられる程のものは2か所くらいだった 邦画の青春映画はそんなに好きでもないので、まあよく起きてられたなとw でも公開から一カ月経ってるのに客が結構多かったのは予想外だった 渋谷だからかな? PR
監督:スタンリー・キューブリック
脚本:アーサー・C・クラーク スタンリー・キューブリック 聞いてはいたけど音声なしの映像が多い映画 ちょっと頭痛くなる 説明がなさすぎて情報なしの初見では確実に理解ができない まあ原作を読めば恐らく理解はできるし きちんと意味がある構成ではあったから映像の深読みができて楽しかったけど、 なんか疲れるので2回目はいいや おどろおどろしい音楽とかも好きなんだけどね 疲れる 最後の映像とかも とりあえず長いんだよね、そういう観念を訴えるような映像が もう少し飽きさせない長さか動きが欲しかったかなあという感じ SFが好きな人は楽しいかもしれない HALとのやりとりは、よくある機械VS人かと思わせておいて 実は既に人より上位の存在に導かれていた っていうのは面白かった 途中途中ぶつ切りになるのもミスリード狙わされた感じ モノリスに影響を受けたという点では共通してるけど、 あの表現は触れたものがダメージを受けたり死んだりしたコトをにおわすから 映像の表現は本当に多彩というか、時間をたっぷり使ってるから、 そういう関係に詳しい人には楽しめるかも パレードとの関連を感じた点は、最初の猿が武器を使い始めたシーン あれが藤原竜也の通り魔のシーンと完璧一致 藤原がこの作品事態に真実を見出したということだけど、 彼がそれを感じたのは子供のころ 子供時代にこの作品の本当の設定を理解するのはさすがに難しいと思う… 一応自分より上の存在によって、人は進化を導かれてきたという過程を表しているだけなんだけど 進化こそ人が人であるための義務だと感じたのだろうか それを最もシンプルな方法で表現されていたのが「猿が武器を使って相手を倒す(食糧を確保する)」 しかしパレードで藤原は生活にも食にも困っていたわけではない つまり彼が求めていたのは変化=進化なのかなと 世界に対して変化を求めていたのは退屈だったからではなく、進化をしたかっただけで だけどあの部屋に対する居心地の良さを感じているだけにうまく動けなかったのかなとか 占い師の言葉もこの作品の設定とリンクしてるのかも 人(藤原竜也)はその存在(世界)に勝つことはできない 藤原竜也・小出恵介・貫地谷しほり・香里奈・林遣都・(中村ゆり) 原作吉田修一・監督行定勲 パケに書いてあったあおり見てひたすらにダークでシリアスな雰囲気かと思ったら わりと雰囲気コミカル だけどラストの演出は恐怖を感じさせるダークな仕上がり ネット見てると原作既読派には賛否両論らしいけど、私は好き 全体の雰囲気がわりとコミカルなのもテーマを考慮した演出だと思ってる 5人のやり取りも普通に面白いしね 意味がなかったとしても楽しめたと思う この作品のテーマは自分の世界・コミュニティを守るために行っている現代的な行動・感覚を 切り取って、その表裏にスポットを当てて描いたものだと思う 「同じ部屋」に共同生活している5人がいる。 誰かとの関係があれば新しい仲間が入ってくるのは比較的容易。 しかしその居心地のいい空間を守るためには、自分の中の深い問題を持ちこまない ・KYな行動をしないという暗黙のルールがある 4人はそれを当たり前のように行っていたし、それに関する不満も抱いていなかった だけど藤原竜也は唯一感情を持ちこんで、だから4人から冷たい表情を浴びせられたのかなとか それでも各々好奇心はそれぞれあって、 例えば小出が電話で「友人が死んだ」という内容を話していた時、皆質問を投げかけている それに対して小出は軽くすませている。いつもの自分のキャラ通りに サトルもメリーゴーランドで香里奈に「子供時代の質問」をしている でも肝心のところで寝ているふりをした 他人の深いところに入りこんでいるという共有の感覚を持つことを拒否したのだと感じた 「うわべだけの付き合いじゃないとやってられないもんね」 距離感がほんとに曖昧というか 普通に間接で飲み物飲んだり、嬉しいと抱きしめたりと簡単に密着したり、肩にもたれかかって寝てたり でも心の奥底は言わない。共有し合わない。人を選ぶ。 そして知りたい事はこっそり知ろうとする。 隣人に対する調査も、同居人のそういうところを表しているんだと思う 「隣の部屋で売春行為が行われいてると思うと気持ち悪くて夜も寝られない」 自分の生活に支障をきたすから通報して止めさせようとした それなりの倫理観を持っているし、 見ず知らずの人間を家にあげたことに対する防衛反応も持っている でも「あの部屋」での空間は居心地がよく、藤原の通り魔事件を表にだすことは その空間を壊すことにつながるから見てみないふりをする 表面上は穏やかに見えても、人間損得の感情で動いている 「現代の闇」をメインとしてるだけあって、現代らしさとリンクしていると考えると色々見えてくる テーマはなんだかんだやっぱりよくわからないのかも 考えてるうちにあれかもしれない。これかもしれないってなってくる 「距離感」「コミュニティ」「現代人の保守的なところ」 ただまあ観た人の人間関係観に影響を与える作品ではあると思う ・藤原が麻酔がききにくい体質である、という点は 痛みを感じやすいことを表してるのかなーとか考えたり だから日常の色んなストレスを自分の中で処理し辛くて通り魔という一番過激な方法に出たんじゃないかとか 他で紛らわすことができない 占い師が言っていた、 「世界に対して変化を求めていますね? でも、あなたがこの世界を抜け出したとしても、 そこは一回り大きな、やはりこの世界でしかありません。 世界とあなたとの戦いは、世界の方が強いのです」 この言葉と通り魔行為が関わっているって線より、これは単純に藤原の考え方とか概念を 表しているという捉え方ができた 世界に対して変化を求めていたのは彼なのに、実際は周りが変化していって世界を抜けていく そこに焦燥感を感じたのかもしれない またその変化に対して違和感を感じたのかもしれない これも現代を表していると思った 現代はどんどん周りが変化していって、自分も変化をしなきゃいけない気分になって でも現状を維持していたい自分もいて。みたいなジレンマ 最後の事件が恐らく一番激しく描かれていたのは、変化を求めている気持ちより 置いていかれる焦燥感の方がダメージが大きかったという事を表しているんじゃないかと 最後のサトルの言葉や家に戻った後の藤原の壊れ方はジレンマや感情の高ぶりだと捉えているんだけど そんな単純なものでもないのかなあ 自分自身がああいう風になるのって色んな出来事が重なって、色んな感情が溜まって 感情の処理が追いつかないって時だから、そういう風に考えてしまうんだけども 退屈による変化を求める気持ち。実際に変わっていこうとしてる環境 取り残されたような焦り 自分の闇を隠せていると信じていたのにバレていた恥ずかしさ 自分はどう見られているのかという同居人に対する疑い まだ守られている「あの部屋」への安心感 自分がいつもと違う様子を見せているのにそれを無視して話を進めることへの寂しさ ただ原作はもう少し藤原の感情が狂気的に書かれているっぽいので、恐らくまた違った印象を 持つと思う 自分の問題は自分で処理すべき、という現代的な概念を持っている私は冷たい人間なのかなんなのか ・ちなみに占い師の言う「世界」はコミュニティだと思う 「あの部屋」も同じく
もたいまさこ…煙草屋
薬師丸ひろこ…堤しんいちの妻 1作目ではそれぞれの新しい家族の出会い編ともいえる内容で、 淳之介と茶川の絆を深めることがメインだったけども、 今作は1作目で描き切れなかった小雪と吉岡秀隆との関係に決着をつける話 そこ中心のラブがテーマ それに加えて家族愛もきちんと描かれてる 鈴木オートの家族の方がにぎやかで明るく描かれてるから理想の昭和の家庭!って感じなんだけど それよりも、全員元は他人という設定の茶川家の方がAlwaysにおける主役なので この話はゼロから作り上げていく家庭の過程を描いた物語なんだよね 小雪が淳之介を連れてきて茶川と出会わせて、3人で過ごして、親子の絆ができて、 夫婦が出来て、子供が自立していく 順番は一般的ではないけどね それでも「持ってないこと」を強調されているこの家族は、その分お互いが与えて受け取ってるものとか 、感謝や喜びを比例して感じやすい このへんの描写がほんと好き 大体ここで泣く 万年筆とか、指輪とか。今回みかちゃんがお母さんからもの貰った時の表情とか間もね。好き 二人ともずっと大切にしてるんだもん 「お金だけじゃない幸せ」を感じさせてくれたから、二人は茶川が好きなのかもしれない 今作の最後で、小雪が淳之介の腕をつかんで、淳之介が茶川の腕を掴むところの シーンにすごくこの3人の関係性が現れている気がした 3人で一緒に暮らすっていう約束(どこで約束してたかさっぱり思い出せないけど)もくるよね 3人で家族なんだよ。 改めて昭和の日本を合間合間でうまく表現してるなとも思った 戦争の跡とか、子供達の手伝いが当然なこととか、子供のおもちゃとかも 昭和の現実というより記憶の中の昭和を表現したとあるから、うまく昭和をよく見せてる感じ 「踊り子」の内容は卑怯 あんなプロポーズじゃ電車から戻るわ これだからアーティストは!
はーー!!!子供達幼い!堀北もなんか丸い!!かわいい!
やっぱりこちらの方がシリアスは多め 3はほとんど問題が解決されていたし、子供の自立ってテーマに絞ったからコメディ多めだったのかな 小説家がコトーだとようやく気付いた。メガネで変わりすぎじゃない? こっちの方が全然いいさ コト-は小説が絡むと残念な部分が強調されているけど、龍之介に情が湧き始めた頃からは きちんと親として接しているんだね だから龍之介は恩を感じてるしそこが一番居心地がよかったのかなと 3での最後の別れのシーンと六ちゃんと別れた後に鈴木オートが歩いていた道が 1での最後の二人が抱きしめ会うシーンと、六ちゃんが実家に帰る時に車から手を振ったシーンと一緒おお 続編ものはほんとあざといわあ 万年筆の件も1を改めて見直したらずっと大切にしてたのかよおおと胸の苦しさ倍になるし コトーが相手を突き放して自分の本音を隠して相手のためになることを選ぶやり方も同じだったり それを見てきたから龍之介は3できちんとコトーの想いを理解できたのかなとか 時間の経過を無駄にせずきちんと積み重ねていることをうまく表現できた点で3は大成功だったと思う 邦画でこんなに胸が熱くなる映画は初めてなんじゃないの 初めて買ってもいいかなって思った映画 そしてシリーズでまとめてみるべき |
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