本、映画をつづる日記
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火車 宮部みゆき このミステリーがすごいベストオブベスト第1位の作品。
山本周五郎賞受賞。 とても分厚い。 「探し人である女性が実はカードローンで借金まみれになっており自己破産してしまった」 「更にその探し人は別の人間がなりすましていた」 という事実が前半で明かされ、引き込まれる。 自己破産に関しては、他所の醜聞がすぐに噂になる理論で面白いと思ってしまったんだと思う。 発言小町のように人の不幸は蜜の味というような。 なりすましは単純にトリックとして。 弁護士がカードローンの実態について長々と語るシーンは恐らく作者にとってメインのひとつだったのだろうけど だれてしまった。 実際に弁護士の人に協力を仰いだとのことだったので、 ここはいじることなくそのまま引用したのかもしれない。 それでもクレジットについて知識を得られ、現実を知れたのは為になったし、 人がカードの罠に陥ってしまう理由を「夢を得るため」と結論づけた点は 好意的に感じた。 身近だけど詩的な発想だなと。 それと並行して、『誰かになりかわりたい』という想いを持つ人に対しても メッセージを投げかけていて。 その流れで印象に残った小話が蛇の話。 蛇の脱皮って命がけなんだって。なぜそんな苦しい行為を何度もするのかというと、 脱皮をすれば足が生えると信じているからなんだって。 蛇なんだから人間になる必要なんてないのにね。 心の底から納得できたわけではないんだけど、分かってはいた事を改めて指摘されたような感じ PR
主人公エドワードノートンとアンソニーホプキンスの関係は、一作目の羊達の沈黙のように助言者とそれに従い行動するもの、という関係に思われた。
しかし、エドワードがアンソニーの犯行に感づき、負傷しながらも逮捕に繋げた。 その事がアンソニーのプライドを傷付け、助言を与える立場にいながらも、密かにエドワードを打ち負かそうと対立的であったところが印象的。 1.2で絶対的な知性の高さを見せていたが、アンソニーを上回る人物が現れた事で 彼の新しい一面が見えた。 表面では犯人をつきとめる為の助言を行いながら、影でその犯人と思わしきものにエドワードの殺害をアドバイスするという… その演技にぞっとしつつも、負けん気の強さに人間らしさを見てほっとする。 神になると言う望みを持ち、悪魔のタトゥーを背中に入れ、二面性を持つ犯人には中2性を感じた… アンソニーとエドワードの関係を主としてるため、所詮サブに過ぎないが、キャラは充分立っていたように思える。
ストーリー、選択できるシステム、マルチエンディング式、戦闘、全て良かった。
テーマは『選択』。 主人公を基本喋らせず、返答や行動を毎回選択できるシステムを採用して、プレイヤーがよりなりきる事ができるようにした。 選択の結果によってエンディングも異なり、自由度が更に上がっている。 近年の一本道ゲームと比べ、選べる楽しみを充分に堪能させてくれたと思う。 ルドガーが『喋らなさすぎて違和感』と 言われている点についてはあまり感じず。 二週目で選んだ選択のセリフは喋ってくれたというのが大きな違いかもしれない。 喋らない分ジェスチャーで感情を表しているし、選択のセリフでも多少キャラの色は出ている。 ドラクエやペルソナよりは充分個性が出ていたように感じてる。 キャラ同志の絡みが多いテイルズでやったのは成功だったと思う。 何より普段喋らない分、分子世界での別ルドガーや、ヴィクトルのトリック、最後の『エル』など、大切なシーンで声が出た時の感動は強かった。 行動においても常にエルを優先させて守ってきているという部分は一貫している。 ストーリーは、前作の結果により発生した問題『二国の国際問題』や、前作主人公に絡めた『種族の差』、今作主人公に関わりのある『本史世界と分子世界』など相反する二つのものとの関わり方をメインとし展開させている。 キャラエピソードも上記の問題、個人の問題とうまく繋げてるなぁと感じた。 メインストーリー、主要エンディングに関しては選択の結果、何かが犠牲にならなければならないという現実的な視点だった。 だからこそ全体的に鬱な印象を与えている。 ニセモノとホンモノ、という最近のゲームでは他でも見られる主題を扱っているが、 ニセモノの子供とホンモノとの関わりという捻りを加えた設定によって真新しさしか感じなかった。 自分の親にもニセモノだからと利用され見放された子供を、本物の自分の命を捨ててまで守り、彼女自身と心を救った話が真エンド。
殊能将之 ハサミ男 名称やメディアの印象付け、噂などにより固められた固定概念を使った叙述トリック。
作者の罠にすとーんとはまり、逆に爽快。 私的騙された書籍ランキングベスト3に入る。 伏線も多々… ある人物とある人物を混同させるようあえて書かれているのだけど、真相を知った後の印象の違いにまた『イメージ』というものの恐ろしさを知る。 男性と女性、美形とデブ。 同じ行動をしていても、受け取る印象が大きくかけ離れていた。 一体自分はどれだけの事を見逃して、どれだけの事実をみる事ができてるのだろうなーと不安になりました。
監督…リチャード・ケリー(運命のボタン)
カレン先生…ドリュー・バリモア(チャーリーズエンジェル) とても難解な妄想と現実が入り乱れる話。 私は基本が現実、兎は妄想、ラストも妄想と考えていた。 ラストに憎き相手となるフランクの名前を、物語初めから明らかに妄想であろう兎の名前として扱われていたので、 前後関係から見てそう考えた。 全て終わった後の彼視点における話の振り返りなんじゃないかと。 マルホランドドライブを完璧に引きずっています。 でも2回観た後、考察をいろいろ見てみると 伏線と思しきものが自分が感じた以上にあり、繋がりが見えてきた。 この物語の真相として予想されていたのが、 ①映画の流れのままに全て現実で、彼はタイムトラベルをし、恋人や家族を助けるために死んだ。 ②この物語は彼が死ぬ前に夢見たストーリーである という二つの流れである。 最後に「帰ろう」とドニーが発言することから後者の発想が生まれたらしい。 ここで思い出したいのが、明らかにキーマンなのにいまいち何の機能をしているか分からない死神ばばあ。 彼女は冒頭で、「生き物は皆孤独に死ぬ」と述べている ドニーは通常そのまま孤独に死ぬはずだった。 しかし、映画のような物語をたどった場合、彼は愛する人のために死ねる。 続いて科学の先生の話。 「運命が見えているなら、運命に背く選択肢もありうるということだ。 だが、その選択の存在自体がすでに運命に背いている」 彼は孤独に死ぬ運命だった。しかし、思考を変えるだけで、彼はささやかにこの運命に抵抗することができる。 ともとれるし。 ①の流れそのままともとれる。 そしてDr.サーマン先生の話「もし、空が開くものなら、この世に法則などないはずよ。 あるのはあなたの記憶とあなたの取った選択とあなたの知人だけ」 これは明らかな②への示唆。 この映画に関して感じていた違和感もある。 精神に疾患があり、学校内においても浮いていると言わざるをえないドニー。 その彼に毎日遊ぶ普通の友達がいて、彼女ができて、家族にも愛されるのか? 都合がよすぎる 彼女のため・家族のためのタイムトラベルなのに、その間の思考や時間、回想が短すぎやしないか? この間の状況は読み取れても感情がほとんど感じなかった。 兎は明らかに想像としてとらえられている。 フランクという存在も前後関係がおかしい。 物語全体においての現実感のなさは、②であることを導いているのではないかと思った。 そんな自分の死んだ意味を見出した映画なのだと感じた。 |
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